痴漢からのハゲ

 特定の風俗嬢を指名し続ける献身的な本氏名の理念を闇雲に信じることでのみ救われてきた風俗通いと性病クリニック通院の一一四五一四年の後、私は、八五八五年四五四五月〇七二日から一九一九日にかけての真夏の夜の淫夢に自分が新日暮里で発見したと考えるものが真性包茎のショタっ子のおちんちんじゃん…と自ら進んで断言しようとは思わない。私の風俗体験が全面的ないし部分的に幻覚であると希望するだけの理由があるからだ――実際破産の原因が度重なる風俗通いであることは確定的に明らかだった。だが尚それはシコましいほど程信じられないこと、だって破産するほど風俗通ったのに、いつも射精の感覚は一瞬で、全然思い出せないのであり、そのために私はまた今すぐにでも風俗行ってしまいそうになる。
私が実際にいままで毎日風俗通って射精してきたのだとすると、もう数えきれないぐらいの射精の思い出があり。あの並木通りにキンモクセイが咲くころも射精し、秋の空がだんだん青さを増してくるころに射精し、夏の空が私に白んだ光を降らす、あの懐かしい街で射精し…。各々のセンチメンタルなことごとは思い出せるものの、実際にどの風俗店で勃起して射精したのかぜんぜん思い出せないのである。風俗店での射精が実際に起きたことだとすると、人類はきんたまからの声(非言語的な言語であり、きんたまが張ってちんちんがふっくらしてきたときは、大体が脳の非言語野がきんたまの「我勃起セリ」という言葉を聞き届けたものである)を、僅かに意識するだけで気が狂ってしまいそうなほどきんたまがうねり渦巻き絡まり合いながら本流となり行き交っているきんたまの中の世界における自分自身のちっぽけさを、受け容れる準備をせねばならないのである。風俗狂いはまた、風俗界隈全域を巻き込むことはないにせよ、その風俗世界のチャレンジングなプレイの構成員であるうえに複雑怪奇にして人類の思考の限界を超えたきんたまのしわの、特異かつシンピテキなパターナリズムに対して警戒せねばならぬのだ。我がザーメン討伐隊が射精せんとした知られざる原始の宇宙の設計図をきんたまのしわから際限するいかなる企ても金輪際放棄するよう私が自らの精力を挙げて主張するのは、まさに後者の理由による。
 あのときすでにきんたまのしわに潜んでいるものが目覚めていたと仮定すれば、あの夜の私の射精体験はこれまでいかなる人間にも降り掛かったことのないものだった。

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